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星界の道~航海中!~

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勤行御観念文について(二)

勤行御観念文について(第二回)
             
 それでは御観念文の解説に入ります。
 まず観念文というのは、心に観じ念ずるものであるから、声は出さなくてもよろしい。
あるいは小さな声ならば出してもよい。いずれにしても、大きな声で読み上げるものではないということを、心得ておいて下さい。

 以下、各観念文ごとに、初めに新しい観念文を掲げてこれを解説し、次に従来の宗門の観念文と対比して異なる部分(『』で示す)について見解を述べます。
三大秘法の法味を供養し諸天善神の威光勢力を増す

  「諸天供養」
『生身妙覚自行の御利益、大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王・天照太神・正八幡大菩薩等・総じて三大秘法守護の諸天善神、諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増の御為に』 この諸天供養は、朝の勤行のときだけ
行います。また遥拝勤行においては、これを省略してよろしい。
 
  「東天に向うわけ」
 まず御本尊に向ってお題目を三唱したのち、東方に向って行う。
なぜ東に向うのかといえば、朝、東天に昇る大日天を、いっさいの諸天善神の代表として、これに要約するわけであります。
そのことは「一切の守護神・諸天の中にも、我等が眼に見へて守護し給うは日月天なり。争か信をとらざるべき』(四条金吾殿御返事)
 「日天、朝に東に出で給うに、大光明を放ち天眼を開きて南閻浮提を見給うに、法華経の行者あれば心に歓喜し、行者を
にくむ国あれば天眼をいからして其の国をにらみ拾い・・・」(松野殿御返事)と。
 さらに深意の御指南を拝せば「日蓮を恋しくをはしせば、常に出づる日、ゆうべに出づる月を拝ませ給へ。いつとなく日月に影を浮ぷる身なり」(千日尼抄)
 これらの御指南により、東天の大日天に向う意を知るべきであります。

   「威光勢力を増すために」
 諸天善神の存在とその働きについては、昨年の諌暁書「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」に詳しく述べてあるので、ここには省略します。
 なぜ「諸天供養」をするのかといえば、諸天善神は三大秘法の法味を食して威光勢力を増す。
もし三大秘法の食味に飢えれば威光勢力なく、したがって守護する力を失うのです。
 「法味を嘗めざれば守護の力無し」(曽谷入道殿許御書)と。  
このゆえに、諸天善神に三大秘法の法味を供養する。
本門の題目を供するのであります。

      〈語句解説〉

では、観念文の文々句々を解説しましょう。
 「生身妙覚自行の御利益」とはどういうことか。
  「生身妙覚」とは名字妙覚のことです。
すなわち諸天は、法華経の会座において本門寿量品の説法を聴聞したとき、その文底に秘沈されている成仏の種子たる南
無妙法蓮華経を覚知して、久遠名字の妙覚の位(真の成仏の位)に入ることができた。
そしてその位に居して常恒不退に一切衆生を利益している諸天の姿を、「生身妙覚自行の御利益」というのです。
 ちょっと難しくなりますが、法華取要抄を拝見します。
 「法華経本門の略間近顕遠に来至して、華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は、位妙覚に隣り、又妙覚の位に入るなり。若し爾れば今我等天に向って之を見れば、生身妙覚の仏、本位に居して衆生を利益する是れなり」
 文中の「略間近顕遠」とは、文上の寿量品を意味します。
略間近顕遠は通途では涌出品を意味するが、ここでは内証の寿量品の広間近顕還に望んで表現されているから、文上の寿量品を涌出品の略間近顕遠に退属せしめ、「略間近顕遠」と仰せられているのです。
 文意はこういうことです。
法華経本門寿量品の説法に来至して、大菩薩・二乗等と共に梵釈・日月・四天等の諸天も、文上体内の寿量品を聴聞して「位・妙覚に隣り」すなわち妙覚の一つ手前の等覚の位に入り、さらに文底秘沈の種本たる南無妙法蓮華経を信解して久還元初
の下種の位に立ち還り、極位たる名字妙覚のは一に入ることができたということです。
本尊抄の「本門に至って等・妙に登らしむ」の御文と全く同意です。
 ゆえに大聖人様は仰せられる。「今我等、天に向って之を見れば、生身妙覚の仏・本位に居して、衆生を利益する是れなり」と。このように、諸天はすべて久遠名字の妙覚の位に居して、常恒不退に衆生を利益している。
これを「生身妙覚自行の御利益」というのであります。
  「大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王」とは、別して諸天の名。
「天照大神・正八幡大菩薩」とは善神の名です。
これら諸天善神は、すべて「三大秘法守護の諸天善神」であります。
 「諸天昼夜常為法故而衛護之」とは、法華経の安楽行品にある経文です。
"諸天は昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す〃と、諸天の働きが説かれている。
 ではこの「法」とは何かといえば、大聖人は御義口伝に「常為法故の法とは、南無妙法蓮華経是れなり」 と仰せられている。
南無妙法蓮華経とは本門の本尊の一大秘法、開すれば三大秘法です。
この大法のゆえに、諸天は守護するのである―――と。その威光勢力が増すようにと、本門の題目を唱え、法味を供養するのであります。

〈対比〉

「生身妙覚自行の御利益・大梵天王・帝釈天王・大日天王・大月天王・大明星天王等惣じて法華守護の諸天善神、諸天昼夜常為法故而衛護之の御利益、法味倍増の御為めに」
 宗門の観念文と異なるところは二箇所ですね。
 まず「天照太神・正八幡大菩薩」が削除されている。以前はあったのです。それが正本堂の誑惑が始まるころ、削除されてしまった。
私は最初の諌暁書「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」の中で、このことを問い糺したが、未だに答えはない。
 恐らく創価学会に諂って削除したのでしょう。学会は国立戒壇を否定したい、だから宗教には国境がないなどいって "日本国"という概念を薄めようとした。
それには「日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩」(日女御前御返事)は好ましくないということになる。
この学会の意向に、宗門が迎合したものと思われる。
 これは、本国土法門がしっかりわかっていないのと、信心が渾いから、こういう改変をするのです。
 日本国は世界の中でただ一つ、御本仏日蓮大聖人が出現された国であり、三大秘法が世界に広宣流布する根本の妙国です。
どうしてこの日本国に、御本仏そして三大秘法を守護する善神が、出現しないことがありましょうか。
 この使命を果すべき善神こそ、日本国の本主・国主として前もって出現した天照太神・八幡大菩薩なのです。
ゆえにその存在は仏法上極めて重い。
 天照太神が、大聖人御生誕の地・安房の国に住み初めたのも、下種御本仏への守護を表わすものではないか。
このことは「日蓮は日本国の中には安州のものなり。総じて彼の国は天照太神のすみそめ給いし国なりといへり。……かかるいみじき国なれば定んで故ぞ候らん。いかなる宿習にてや候らん、日蓮又彼の国に生れたり、第一の果報なるなり」(弥源太殿御返事)と。
 また天照太神・八幡大菩薩が御本仏日蓮大聖人を守護し奉るべきことについては「天照太袖∵正八幡宮も頭をかたぶけ、
手を合せて地に伏し給うべきなり」(下種本仏成道御書)と仰せられている。
 さらに御本尊を拝見すれば、中央の「南無妙法蓮華経」の下部の左右に、天照太神・八幡大菩薩と大書されているではな
いか。
 このように仏法上重要な位置を占める天照・八幡を、創価学会に諂うあまり削除するなどは、とんでもないことです。
 そうかと思えば宗門は、戦時中は軍部の目を恐れて、前に引用した「下種本仏成道御書」の一節等を御書全集から削除したり、あるいは国家権力に諂って、天照太神のいない、そして悪鬼乱入の伊勢神宮への遥拝を信徒に勧めたりもした。
 これらはいずれも、本国土法門・神天上の法門がしっかり肝に入っていないことと、信心薄きゆえの揺らぎであります。
 次にもう一つ異なるところは「法華守護」と「三大秘法守護」です。
  「法華守護」とは権実相対に約しての表現で、その元意はいうまでもなく「三大秘法守護」です。
いまはすでに広布の前夜、ゆえに紛わしさを避け、明確に「三大秘法守護」とさせて頂いたわけであります。
 諸天が三大秘法を守護し奉ることは、先にも引いたように御義口伝の「常為法故の法とは南無妙法蓮華経是れなり」 にも明らか。
また神国王御書には「梵と帝と日月と四天等の、南無妙法蓮華経の法華経の行者の大難に値うをすてさせ給いて……無間大城に堕ち給わん事こそ哀れにをぼへ候へ」とある。
 「法華経の行者」では熟脱の法華経の行者たる釈尊・天台・伝教にも通ずる。
ゆえにあえてここに「南無妙法蓮華経の法華経の行者」と仰せられる。
まことに下種の法華経の行者、三大秘法の行者は、日蓮大聖人ただ御一人なのであります。
 善神もまた三大秘法を守護する、産湯相承には天照太神を指して「久遠下種の南無妙法蓮華経の守護神」 と仰せられている。
これまた三大秘法守護の善神であること、明らかです。
 いまはすでに広布の前夜。ゆえに種脱に通ずる「法華守護」ではなく、はっきりと「三大秘法守護」と改めた次第であります。 


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